鬼滅の刃

鬼滅の刃 痣(あざ)の形や発現場所・いつ発現した?痣が出る条件

鬼滅の刃で痣を発現させると凄まじい力を発揮でき、強くなると言われています。

鬼滅の刃で痣を発現させたキャラの痣の形や発現場所、そしてそれはいつ発現したのか?を紹介していきます。

痣を発現させるためにはある条件があり、更に発現したことでのデメリットもあります。

今回は鬼滅の刃で強くなる代わりに大きな代償を払わなければならない「痣」についてご紹介します。

痣の発現方法と代償とは

普段わたしたちの生活で「痣」というと皮膚がうっ血して赤や青などの変色してしまうことを言います。

鬼滅の刃に出てくる痣はどのような方法で発現するのでしょうか?

また痣が発現することで強くなると言われていますが、その代償はあるのでしょうか?

痣の発現方法

鬼滅の刃に出てくる「痣」はある特定の条件で発現するのです。

  • 体温が39℃以上
  • 200を超える心拍数

この必要条件は霞柱である時透無一郎が明かしました。

体温が39℃を超え、心拍数も200以上の状態の身体はとても危険な状態。
だからこそ、誰もが「痣」を発現できるわけでは無いのです。

痣が発現した人の事を「痣者(あざもの)」と呼び、始まりの呼吸の剣士である継国縁壱たちが存在した戦国時代から痣が発現しているようです。

炭治郎たちの時代では痣の存在を知らない者がいました。
理由は、誰もが痣を発現させられるわけではないので思いつめる者もいたそうで、それが理由で曖昧な部分が多いようです。

また、鬼殺隊は何度も壊滅されかけていたため、その過程で伝承することが途絶えてしまった可能性もあります。

この事実は鬼殺隊当主の妻である産屋敷あまねから柱合会議で伝えられました。
※この時、当主の産屋敷耀哉は病状が悪化し起き上がれない状態のため、代理であまねが出席しています。

痣の代償とは

痣の発現条件は「体温が39℃以上」であり「心拍数が200以上」という命にもかかわる状態です。

そのような状態に身体が耐えられないため「痣の代償」があるとされています。
これは戦国時代の鬼殺隊剣士から伝承されているのです。

-痣が発現した者は例外なく短命となり、25歳を迎える前に死ぬ-

25歳を超えて生存した事例は、始まりの呼吸の剣士で日の呼吸の使い手である継国縁壱です。
縁壱は産まれた時から炎の形をした痣がありましたが、80歳を過ぎてから老衰で亡くなっています。

この「痣の代償」はあまねから柱たちに伝えられており、痣を発現させたものはそれを承知で発現させています。

また、始まりの呼吸の剣士たちから伝承されているものがもう一つあります。

-痣の者が一人現れると、共鳴するように周りの者たちにも痣が現れる-

鬼滅の刃内での現代では誰が一番最初に痣を発現させたのでしょうか?

次は、痣が発現したキャラと発現したシーンや形などをご紹介します。

痣が発現したキャラ・シーンと形

鬼滅の刃の作中で痣を出現させたのは全部で7人です。

誰が痣を出現させたのか?そのシーンと形・発現場所はどのようなものなのでしょうか?

痣が発現した順にご紹介していきます。

1.竈門炭治郎

鬼滅の刃内の現代で、一番最初に痣を発現させたのは、主人公である竈門炭治郎です。

炭治郎には鬼殺隊に入る前から額の左側に痣がありましたが、これは幼い頃に弟を火鉢から庇った時に出来た火傷の痕です。

鬼殺隊へ入隊するための最終選別で手鬼と戦い、同じ箇所に傷を負ったことで更に色が濃くなっています。

その後、炭治郎の額の痣は戦いや稽古を重ねるにつれ色の濃さや形が変化していきました。

  1. 吉原遊郭での上弦の陸との戦いで、妓夫太郎の頚を斬る時に額左側の痣が炎のような痣に変化
  2. 刀鍛冶の里で上弦の肆 半天狗との戦いでヒノカミ神楽を放つ時に何度か痣が変化
  3. 岩柱 悲鳴嶼の柱稽古にて反復動作を習得し、大きな岩を一町先まで動かす時、炭治郎の痣が炎の形に変化

①・②で発現した痣は戦いが終わると元の火傷痕に戻っていましたが、③の後は炎の形になった痣が残り続けています。

理由は、柱稽古の最中で無惨が産屋敷邸を襲撃しそのまま、無限城での最終決戦に突入したからだと思われます。

無限城では炎柱 煉獄杏寿郎の仇である上弦の参 猗窩座と対決したり、鬼舞辻無惨との戦いが行われました。
無限城に落とされた後の戦いでは炭治郎の額の痣は炎のような形のまま変化することはありませんでした。

鬼舞辻無惨を倒した後、意識を失った炭治郎は無惨によって「鬼の王」になり覚醒します。
額左側の痣の範囲が広がり右側からも痣が発現し、右側の首から顎にかけても痣が発現しています。

鬼の王となった炭治郎は鬼殺隊へ牙を剥きますが、人間に戻った禰豆子の呼びかけや同期の栗花落カナヲが放った鬼を人間に戻す薬、そして亡くなってしまった炭治郎の家族や鬼殺隊の仲間たちの力により無事人間に戻ります。
人間に戻った炭治郎の痣は額の左側に炎型の痣が残っていました。

鬼のいない世界では竈門家で炭治郎・禰豆子だけでなく善逸や伊之助と一緒に暮らしています。
戦いが終わった後も、炭治郎の額左側には炎の形をした痣が残り続けています。

2.霞柱 時透無一郎

霞柱 時透無一郎は、刀を持って僅か2ヶ月で柱になった実力を持っており、柱の中では最年少です。

無一郎が痣を発現させたのは、刀鍛冶の里で上弦の伍 玉壺との戦いです。

それまで記憶障害を患っていた無一郎は玉壺との戦いの中で昔の記憶が蘇ってきます。
これをきっかけに額と両頬に霞のような痣が発現します。

そして、最終決戦である無限城では上弦の壱 黒死牟との戦いでも額と両頬に痣を発現しています。

鬼殺隊に入る前、幼い頃に両親を亡くし双子の兄 有一郎と共に暮らしていましたが、そこで鬼の奇襲に遭遇し、有一郎が亡くなっています。
このショッキングな出来事がきっかけで無一郎は記憶障害になってしまいます。

最初に痣が発現したきっかけは、玉壺が放った言葉が有一郎を傷つけた鬼の言葉と重なり、炭治郎に言われた「人のために行った事は巡り巡って自分に返ってくる」という言葉をきっかけに刀鍛冶の里で小鉄を助けたことで昔の記憶が蘇ってきたのです。

双子の兄である有一郎とは意見が合わず喧嘩ばかりしていましたが、溺死状態の有一郎が言った「無一郎の無は❝無限❞の❝無❞なんだ」という言葉を思い出したことで記憶を完全に取り戻し覚醒したからです。

その時の身体の状態を理解した無一郎は、黒死牟との戦いで自発的に痣を発現させています。

3.恋柱 甘露寺蜜璃

恋柱 甘露寺蜜璃も痣を発現させた一人です。

刀鍛冶の里で上弦の肆 半天狗との戦いで分裂と合体を繰り返した憎珀天との戦闘で真正面から血鬼術「狂圧鳴波」を喰らい気絶してしまいます。

気絶した甘露寺は、炭治郎・禰豆子・玄弥によって救出され「一番可能性があるこの人が❝希望の光❞だ」と言われます。

甘露寺がこの攻撃に耐えられたのは普通の人の8倍の筋力を持っていたからです。
この筋力が8倍という特異体質に加え、奇抜な髪色で甘露寺はお見合いに失敗しています。
本来の甘露寺の姿や力をを受け入れてくれる鬼殺隊の仲間を大切に想っていましたが、また拒絶されることを恐れて本来の力を抑え込んでいました。

しかし、炭治郎たちに❝希望の光❞だと言われたことで自分に力を制御することを止め「みんなを守る」という強い意思。
そしてお館様からの「君は神様から特別愛された人なんだよ 自分の強さを誇りなさい。君を悪く言う人は皆 君の才能を恐れ羨ましがっているだけなんだよ」という言葉。

これをきっかけに「鬼殺隊は私の大切な居場所」と思い出し痣を発現させました。

甘露寺の痣の形は恋柱らしいハートの形をしています。

4.水柱 冨岡義勇

水柱 冨岡義勇は、入隊の最終選別では実力で突破したのではなく共に鱗滝のもとで修業した親友の錆兎に守られて生き残っただけ。と「他の柱と肩を並べていい人間ではない」と負い目に感じていました。

しかし炭治郎に「錆兎から託されたものを繋いでいかないんですか?」と言われ、錆兎に頬を張り飛ばされ叱咤激励された言葉を思い出し鬼殺隊員・柱としての自覚が目覚めます。

自己評価が低い冨岡ですが、柱として相応しい実力を持っています。
無限城での上弦の参 猗窩座との闘いでは自ら編み出した「拾壱ノ型 凪」も通用しています。

そんな猗窩座との戦いの中で痣を出現させています。

猗窩座の強力な攻撃で遠くまで吹き飛ばされ、背中の痛みに対する怒りで痣が発現したと一部では言われていますが、本来は違うと推測します。

この時の冨岡は「己が圧倒される強者と久々に出会い 短時間で感覚が鋭く練磨されるのがわかった」と感じています。
そして「限り限りの命の取り合いというものが どれ程 人の実力を伸ばすのか理解した」

これに気が付いた冨岡は左頬に水が流れるような痣を発現させました。

5.岩柱 悲鳴嶼行冥

柱の中でも最年長の27歳でまとめ役である岩柱 悲鳴嶼行冥はお館様からの信頼も厚い人物です。
柱の中でも戦闘力が高く多くの人から尊敬され「鬼殺隊最強」と評されています。

悲鳴嶼も痣を両腕に発現させ、岩に入る亀裂のような形をしてます。

無限城で上弦の壱 黒死牟と戦った際、「無惨の時まで温存しておきたかったが・・・」と発現していることから、すでに柱稽古が始まってから痣を自力で発現させることに成功していたことがうかがえます。

先に説明した痣の代償で「痣が発現した者は例外なく短命となり、25歳を迎える前に死ぬ」ということから、悲鳴嶼は27歳であるため、黒死牟には「お前は二十五を超えて痣を出した、今宵の内に死ぬだろう」と言われます。

しかし悲鳴嶼は「鬼殺隊である限り明日の命の保証はない そのような生半可な覚悟で柱になる者などおらぬ 甚だしき侮辱 腸が煮えくり返る」と、覚悟の上であることを告げます。

6.風柱 不死川実弥

風柱 不死川実弥は稀血の中でも希少な稀血を持つ者で、自身の血で鬼を酩酊させることができます。
また、実戦経験も豊富であるため時透無一郎を一瞬で切り刻んだ黒死牟にも喰らいつき技に対応しています。

そんな上弦の壱 黒死牟との戦いでは先に対決していた実弟の玄弥が殺されかけている所に助けに入り、稀血を使って匂いで酔わせるも黒死牟に追い詰められ攻撃を喰らってしまいます。

喰らった攻撃により少しでも動けば内臓がまろび出る深手を負いますが、呼吸で筋肉を引き絞り内臓が出るのを止めながら戦い続けます。
それでも追い詰められた不死川の前に岩柱の悲鳴嶼が現れ助けられます。

悲鳴嶼が黒死牟の相手をしている間に、不死川は腹の傷を縫い呼吸を整えたところで風車のような形の痣を右頬に発現させています。

弟である玄弥を切り刻んだ黒死牟を必ず倒すという気合いで発現したのではないでしょうか。

7.蛇柱 伊黒小芭内

蛇柱 伊黒小芭内はオッドアイで、口は裂かれた傷があるため包帯で隠しています。

鬼舞辻無惨との最終決戦で刃を赫くする際に同時に痣を発現させています。
左肩から腕にかけて蛇のような形の痣です。

伊黒が痣を発現したきっかけは過去の記憶が引き金となっています。

伊黒は下半身が蛇の女の鬼が支配する一族に産まれ、370年振りに産まれた男児である上に左右の眼の色が違う珍しい子だったため食べられる量が増えるまで座敷牢で育てられます。

一度蛇鬼に会わされた際、生き血を与えるため蛇鬼と同じ口になるようにと口を裂かれました。
身の危険を感じた伊黒は脱走を決意し盗んだかんざしで座敷牢の木の格子を削る日々を送り、この時に相棒になる蛇の鏑丸と出会っています。

鬼舞辻との戦いで伊黒は自分が一番戦果を上げていないと思います。
そして命の危機に瀕した生き物は爆発的な力を発揮すると、昔自分が座敷牢の格子をかんざし1本で破り逃げ出せたことを思い出すのです。

そして無一郎が死ぬ間際に白刀を赫くしたことを鎹鴉から聞いていたのです。
刃を赫く出来るのは、死の淵に己を追い詰めてこそ発揮される「万力の握力」であると推察し、それを実行した際に痣が発現しました。

まとめ

鬼滅の刃に出てくる「痣」は、始まりの呼吸の剣士が存在した戦国時代から伝承されていました。

全集中の呼吸を一定以上極めた者が「39℃を超える体温」と「200以上の心拍数」という条件を満たした時に痣が発現します。

甘露寺蜜璃が痣を発現させた時に「もっと心拍数を上げなくちゃ もっと血の巡りを速くして」と考えています。
このことからも体温と心拍数の上昇は間違いないでしょう。

そして痣を出した「痣の者」は身体能力が大幅に向上し、刃を赫くする「赫刀(かくとう)」を発現させることも可能です。

痣の者は上弦の鬼にも通用するような強さを発揮することが出来るのです。

痣を発現させるのは容易なことではなく、今回ご紹介した痣の者も上弦の鬼との戦いで極限状態の中で発現しています。

そして発現した痣の形は使う呼吸によって様々な形があるようです。
極めている呼吸に応じた痣の形をしているのが特徴的です。

産屋敷あまねや黒死牟曰く、痣の力は「寿命の前借り」に過ぎず「痣の者は例外なく25歳を迎える前に死ぬ」という代償があるようです。

400年以上前にこの代償により多くの隊士が死に激減しました。
更に鬼舞辻の指示により「日の呼吸の剣士狩り」が行われたため鬼殺隊は一時壊滅の危機に陥っています。

このことが原因で痣に関する情報は産屋敷家一族を始めとするごく一部の人しか知らなかったのです。
その産屋敷家も痣の発現方法までは知らず、この時代の鬼殺隊で初めて痣を発現させた炭治郎や甘露寺・時透に発現時の状況を確認している様子があります。

今回は鬼滅の刃の「痣」についてご紹介しました。
最後までお読みいただきありがとうございました。